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旧石器・縄文・弥生時代

1 旧石器時代

(1)大陸と陸続きの日本(氷河時代)

  • 大型動物の渡来

    現在より100m以上海面が低く陸続きだった日本に,北からマンモス,南からナウマン象やオオツノジカが渡来。

  • 化石人骨の発見

    沖縄県や静岡県から,新人段階の化石人骨が発見されている。

(2)旧石器文化

簡単に打ち欠いただけの打製石器〔旧石器〕を使用し,狩猟・漁労・採集をおこなう。

食糧を求め一定地域内での移住生活を営んだ。

洞くつや岩かげ,簡単な小屋などに住む。

土器はまだ使用していない。

(3)旧石器時代の遺跡 →戦前は発見されず

  • 岩宿遺跡(群馬県)

    1946年,相沢忠洋が関東ローム層から黒曜石の打製石器を発見。

    日本にも旧石器時代があったことが判明した。

  • 野尻湖(長野県)

    ナウマン象の牙やオオツノジカの角の化石と打製石器を同時に発見。

2 縄文時代→日本独自の新石器時代

(1)日本列島の成立 →氷河時代の終わり

約1万5000年前から始まっていた温暖化の影響で,約1万年前,海面の上昇や地殻変動により日本列島が成立した。

大型動物が絶滅し,ニホンシカ・イノシシなどの中小動物が増加。

残った人々が日本人の祖先である縄文人となっていく。

(2)縄文文化(約1万3000年前?~紀元前5世紀?)

磨製石器〔新石器〕・弓矢・骨角器などを使用し,おもに狩猟・漁労・採集をおこなう(農耕・牧畜はあまり発達せず)。水辺に近い台地に竪穴住居の集落をつくり,中には定住するものも出てきた。

煮炊き用に,厚手でもろく黒褐色の縄文土器を使用。屈葬や抜歯をおこない,まじない道具として女性をかたどった土偶なども使用。
→アニミズム〔精霊崇拝〕

ゴミ捨て場として各地から貝塚が発見される。

(3)縄文文化の遺跡

  • 大森貝塚(東京都)

    明治時代の1877年,アメリカ人動物学者モースが日本で初めて発見した貝塚。

  • 三内丸山遺跡(青森県)

    1500年以上続いた500人規模の巨大集落跡。植物の栽培もおこなわれていた。

3 弥生時代→金石併用時代

(1)弥生文化(紀元前5世紀?~紀元3世紀?)

中国では紀元前8世紀~紀元前3世紀にかけて春秋・戦国時代の戦乱があり,その最中に漢民族の高度な文化が周辺民族へ伝わった。

  • 稲作の開始

    木鍬・木鋤・田下駄などの木製農具や石包丁を使用した農耕が始まり,水田近くの低地に竪穴住居や高床倉庫からなるムラ〔集落〕をつくり,定住することが多くなった。

    ブタの飼育も開始。

    沖縄県の南西諸島や北海道は,狩猟・漁労・採集の文化を維持した。

  • 金属器の使用→青銅器・鉄器が同時に伝来し,金石併用時代に。

    青銅器はおもに祭器・宝器(銅剣・銅矛・銅鐸・銅鏡など),鉄器はおもに農具・工具の刃先や武器として使用。

  • 弥生土器の使用

    縄文土器よりも薄手でやや固く赤褐色。煮炊き・貯蔵・盛り付けなど,さまざまな用途に用いられた。

    東京都の弥生町遺跡で初めて出土。

(2)弥生文化の遺跡

  • 登呂遺跡(静岡県),唐古・鍵遺跡(奈良県),板付遺跡(福岡県)など稲作をおこなったムラの遺跡。
  • 吉野ヶ里遺跡(佐賀県),原の辻遺跡(長崎県壱岐)など巨大なムラ・クニの遺跡。

(3)ムラ〔集落〕からクニ〔小国〕へ

稲作がさかんになると,共同作業や争いを通じ貧富の差・身分の差が生まれ,各地でムラ〔集落〕どうしの対立が起こり,クニ〔小国〕へと発展していった。

(4)小国の分立と中国との関係

  • 『漢書』地理志(紀元前1世紀)

    倭(日本)に100余りの小国が分立しており,前漢の皇帝に使いを送る(朝貢する)国もあったと書かれる。

  • 『後漢書』東夷伝(1世紀~2世紀)

    九州の奴国の王が光武帝から金印を授さずけられた(57年)ことや,2世紀後半に大きな戦乱があったことが書かれる。

    「漢委奴国王」と刻まれた金印が,江戸時代に福岡県志賀島で発見されている。

(5)3世紀の中国と邪馬台国連合

  • 三国時代(220年~280年,魏・呉・蜀→晋〔西晋〕が統一)

    3世紀前半に後漢が滅亡して三国時代に突入し,のち晋が統一。

    中国東北部には紀元前1世紀から高句麗が成立していた。

  • 『魏志』倭人伝(3世紀)

    約30の地域的な小国連合を従える邪馬台国の女王卑弥呼が,魏の皇帝に朝貢し「親魏倭王」という称号や金印,銅鏡100枚などを授かった(239年)ことや,邪馬台国連合の政治・社会,人々の暮らしなどが書かれる。

    卑弥呼や後継者の壱与〔壹与・台与〕は,呪術的な力で支配していたとされる。

    邪馬台国の位置は,近畿説と九州説に大きく分かれている。

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