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大和時代②

1 聖徳太子〔厩戸皇子〕の政治 →中央集権体制の準備

(1)中国・朝鮮半島のようす

  • 中国

    589年に隋が南北朝を統一したが,高句麗征討の失敗や大運河が建設の負担により2代約30年で滅亡。618年に唐がおこり,長安(現在の西安)を都とし10年後に全土を統一することとなる。

  • 朝鮮半島

    中国と戦う高句麗にかわり新羅が強大化。

(2)聖徳太子の政治 →蘇我馬子との二頭政治

593年推古天皇の摂政・皇太子となる

594年仏教興隆の詔

603年冠位十二階の制
※氏姓制度にとらわれない人材登用をめざす。

604年十七条の憲法
※豪族に対し役人としての心構えを示す初の成文法。
「一に曰く,和をもって貴しとなし,さからうことなきを宗とせよ。」
「二に曰く,篤く三宝を敬へ。三宝とは仏・法・僧なり。」
「三に曰く,詔を承りては必ず謹め。」 

607年第一回?遣隋使の派遣
※2代皇帝煬帝へ,小野妹子を派遣。
法隆寺の建立

2 中大兄皇子〔天智天皇〕の政治 →中央集権体制の目標設定

(1)大化の改新(645年ごろ~)

唐は律令を整え,首都長安を中心に大帝国となった(日本は630年に第一回遣唐使を派遣)。唐の高句麗征討が始まった直後の645年,中大兄皇子は中臣鎌足(のち藤原鎌足)とともに蘇我蝦夷・入鹿父子を倒した(=乙巳の変)。

646年,飛鳥地方(奈良県)から難波宮(大阪府)に遷都した孝徳天皇の下で4カ条からなる「改新の詔」が発布され,政治改革が始まった。

公地公民制の中央集権体制をめざす。

(2)中国・朝鮮半島のようす

高句麗征討に苦戦中の唐を誘い,新羅が朝鮮半島統一に乗り出す。百済を滅ぼした後の663年,唐・新羅連合が日本・旧百済連合に白村江の戦いで大勝した。

その後,高句麗も滅ぼし,唐の勢力も追い出して新羅が朝鮮半島を統一した(676年)。

(3)国内政治の充実

白村江の戦いの敗戦後,九州北部に防人や水城を設置,西日本各地に大野城をはじめ朝鮮式山城を築いて守りを固め,飛鳥から大津宮(滋賀県)に遷都。中大兄皇子は天智天皇として即位し,初の全国的戸籍を作成するなど国内政治を充実させた。

3 天武・持統天皇の政治 →中央集権体制の確立

(1)壬申の乱(672年)

天智天皇の死後,天皇の弟の大海人皇子と子の大友皇子が皇位をめぐって戦い,大海人皇子が勝利し大津宮から再び飛鳥に遷都,天武天皇として即位した。

大王でなく初めて「天皇」として強大な権力をもつ。富本銭という初の貨幣もつくった。

(2)律令国家「日本」の確立

天武天皇は,律令のもとになるものや歴史書の編纂を命じ,その死後は妻の持統天皇が初の本格的な都城である藤原京に遷都(694年)するなど,中央集権体制を確立した。

701年には,天武・持統天皇の孫の文武天皇が大宝律令を制定した。

4 飛鳥文化

大和時代〔古墳時代〕終末期にあたる7世紀を飛鳥時代といい,とくに聖徳太子のころ,世界性に富む初の仏教文化が開花した。

7世紀後半の文化を白鳳文化として分けることも多い。

  • 建築
    • 法興寺〔飛鳥寺〕(奈良県,初の本格的寺院)

      蘇我馬子が建立。

    • 四天王寺(大阪府),法隆寺〔斑鳩寺〕(奈良県,現存する世界最古の木造建築),中宮寺(奈良県)

      聖徳太子が建立。

  • 彫刻
    • 法隆寺金堂釈迦三尊像(奈良県)→渡来人系の鞍作鳥〔止利仏師〕が制作
    • 法隆寺夢殿救世観音像(奈良県)→明治時代にアメリカ人フェノロサが発見
    • 法隆寺百済観音像(奈良県)
    • 広隆寺弥勒菩薩像(京都府)
    • 中宮寺弥勒菩薩像(奈良県)
  • 工芸
    • 法隆寺玉虫厨子(奈良県)
    • 中宮寺天寿国繡帳(奈良県)
  • 壁画→すべて7世紀後半
    • 法隆寺金堂壁画(奈良県)→1949年に失火で焼失
    • 高松塚古墳壁画(奈良県)→石室を解体して保存
    • キトラ古墳壁画(奈良県)→壁画をはぎ取り保存

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