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鎌倉時代①

1 鎌倉幕府の成立

(1)鎌倉幕府の成立

1185年,平氏を滅ぼした源頼朝は,全国に守護・地頭を設置して鎌倉幕府を成立させた。1189年には東北地方の奥州藤原氏を平定,1192年に征夷大将軍に就任した。

守護は国ごと,地頭は荘園・公領ごとに設置された。

(2)鎌倉幕府のしくみ

征夷大将軍の下に侍所(御家人の統率)・政所(政務と財政)・問注所(訴訟と裁判)を置いた,簡素で実務的なもの。京都・東北・九州にも出先機関をつくった。

鎌倉幕府は東日本中心の武家政権で,基本的に公家政権の朝廷に協力的であった。

(3)封建制度の確立

主君と家臣が領地を仲立ちにして「御恩」と「奉公」の主従関係で結ばれることを封建制度という。

鎌倉幕府の将軍と直接主従関係を結んだ武士を御家人という。

  • 御恩

    以前からの領地の保護(本領安堵)や,新たな領地の支給(新恩給与)など。

  • 奉公

    軍役(戦闘に参加“いざ鎌倉”)・番役(各地の警備)など。

2 執権政治

(1)執権政治の確立

源頼朝の死後,北条政子との間に生まれた2代将軍頼家・3代将軍実朝が即位した。外戚にあたる北条時政やその子義時が初代・2代執権として将軍の補佐にあたり,御家人による連合政権を指揮したが,紛争・対立は絶えなかった。1219年には3代将軍実朝が鎌倉の鶴岡八幡宮で暗殺され,源氏将軍は途絶えた。

4代将軍以後は,摂関家や皇族から名目上の将軍を迎えることとなる。

(2)執権政治の展開

1221年,承久の乱で後鳥羽上皇を破った鎌倉幕府(2代執権北条義時や“尼将軍”北条政子)は,3000カ所あまりの所領を没収し,西日本にも勢力を広げた。また,京都に六波羅探題を設置して朝廷を監視するようになった。その後,3代執権北条泰時は,1232年に初の武家法である51カ条の御成敗式目〔貞永式目〕を制定し,裁判の基準や御家人の権利・義務を明らかにした。

さらに5代執権北条時頼も執権の地位を強化した。

3 鎌倉時代の暮らし

(1)地方武士の暮らし

  • 兵農未分離

    荘園・公領内に館を構え生活,地頭や荘官・郷司などとして土地の管理や年貢の徴収にあたるかたわら,自らの土地も経営した。

  • 一所懸命

    御家人〔地頭〕であれば常に“いざ鎌倉”を想定し,笠懸・流鏑馬・犬追物などで武芸を修練。

    このような生活の中から,「弓馬の道」「兵の道」「もののふの道」などとよばれる武家道徳が形成された。

  • 惣領制

    一門・一家とよばれる武士の血縁的結合で,惣領〔家督〕が庶子を統率し,領地を一族で共同して治めた。

    領地は基本的に分割相続,女性にも相続権は認められた。

  • 地頭の勢力増大

    承久の乱後,地頭請や下地中分により鎌倉幕府の地頭は荘園・公領内で勢力を増大させた。農民の中には,地頭の横暴を領主に訴える者たちもいた(紀伊国阿氐河荘など)。

(2)産業の発達

  • 農業の発達

    畿内・瀬戸内では米の裏作に麦を栽培する二毛作が始まり,新たな肥料や鉄製農具・牛馬耕の普及などにより農業は発達した。

  • 手工業・商業の発達

    漆や藍など商品作物の栽培がさかんになり,鍛冶や紺屋など専門の手工業者も活躍した。寺社の門前や交通の要所には定期市(三斎市)が開かれ,商工業者の同業者組合である座も結成された。

  • 貨幣経済の発達

    日宋貿易による宋銭の大量流入が商業・交通の発達と連動し,貨幣経済が発達した。

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