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江戸時代⑦

1 開国と不平等条約

(1)開国と不平等条約の締結

  • ペリーの来航(1853年)

    1840年~42年のアヘン戦争(イギリスvs清)後に清(中国)との貿易を始めたアメリカは,太平洋横断の中継地や捕鯨船の寄港地とするため,日本に開国を求めた。

    • 1853年,アメリカ東インド艦隊司令長官ペリーが浦賀(神奈川県)に来航。江戸幕府に開国を迫るが,幕府は回答を保留。
    • 幕府は天皇のいる朝廷に報告,諸大名にも意見を聞いたため,朝廷や大名が発言権を強めるきっかけとなり,幕府の力の衰えが明らかとなった。
  • 日米和親条約の締結(1854年)

    1854年,ペリーが再び来航,幕府と和親条約を結んだ。

    • 下田(静岡県)・箱館(北海道)を開港。アメリカ船への薪や食糧,水などの補給,領事の駐在を認めた。
    • 他にイギリス・ロシア・オランダとも条約を結んだ。このうち日露和親条約では択捉島と千島列島の間に国境を定め,樺太を両国の人が自由に住んでよいとした。
  • 日米修好通商条約の締結(1858年)

    アメリカ総領事ハリスは,開国だけでなく貿易を始めるための条約を結ぶよう,幕府に強く要求した。

    • 1858年,大老に就任した井伊直弼は,反対派を抑えて天皇の許可を得ないまま日米修好通商条約に調印。
    • 箱館・長崎・神奈川(のち横浜)・兵庫(のち神戸)・新潟の5港を開港,横浜の開港後は下田を閉鎖。
    • アメリカの領事裁判権(治外法権の一種)を認め,日本に関税自主権を認めない(協定関税制),日本にとって不平等な条約となった。
    • アメリカ以外にも,イギリス・ロシア・オランダ・フランスとも結んだ。

      のち,さらに締結国は増えた。

(2)開国の影響

  • 貿易の開始
    • 箱館・横浜・長崎の3港で貿易開始の当初,おもに横浜が貿易の中心となり,相手国はイギリスが多かった。

      アメリカは南北戦争(1861年~65年)のため出遅れた。

    • おもに生糸・茶を輸出,輸入品は毛織物・綿織物・武器などが多かった。
  • 物価の上昇

    • 関税自主権がないため,安価な綿織物が大量に輸入され,国内の綿織物業は打撃を受けた。また,生糸は輸出が多くなり国内で不足したため,絹織物業に打撃を与えた。
    • 金と銀の交換比率が海外と国内で違ったため,金が大量に国外に流出。これを防ぐため,幕府は質を落とした貨幣を造り,物価が急上昇した。

2 江戸幕府の滅亡

(1)攘夷から倒幕へ

政治・経済などの面で外国からの圧迫を受けると,外国人を追い払おうとする攘夷論がさかんになり,これが天皇を尊ぶ尊王論と結びつき,尊王攘夷運動が活発化した。

  • 安政の大獄(1858年~59年)
    • 日米修好通商条約に際し尊王攘夷論者が幕府を批判したため,大老井伊直弼は反対派の大名や公家,志士を弾圧。越前藩の橋本左内や長州藩の吉田松陰らを処刑した。
    • 安政の大獄に憤激した水戸藩出身の尊攘派浪士らが,1860年に大老井伊直弼を暗殺(桜田門外の変)。こののち幕府は孝明天皇の朝廷との結びつきを強め,公武合体運動をすすめた。

      1862年,14代将軍家茂に天皇の妹宮である和宮が降嫁したが,主導した老中の安藤信正が尊王攘夷派の浪士に襲撃された(坂下門外の変)。その後,薩摩藩主の父である島津久光らが幕政改革を主導した(文久の改革)。

  • 長州藩の動き

    長州藩では,吉田松陰の影響を受けた木戸孝允(もと桂小五郎)・高杉晋作・久坂玄瑞ら尊王攘夷派が主導権を握った。

    • 1863年,三条実美ら尊王攘夷派の公家を通し幕府に命令を出させ,下関を通る外国船を砲撃した(下関事件)。攘夷の高まりを恐れた幕府や公武合体派の藩(薩摩藩・会津藩など)は,尊王攘夷派の公家や長州藩の勢力を京都から追放した(八月十八日の政変)。
    • 1864年,新撰組による尊王攘夷派志士の弾圧(池田屋事件)をきっかけに京都に攻め込んだ長州藩勢力は,幕府・薩摩藩・会津藩などに鎮圧された(禁門〔蛤御門〕の変)。
    • 尊王攘夷派を壊滅するため,幕府は長州藩に出兵(第一次長州征討)。同時にイギリスら四カ国の連合艦隊が,報復のため下関を占領した(四国艦隊下関砲撃事件)。

      長州藩は戦わずして降伏,攘夷が不可能なことも痛感した。

      のち高杉晋作らが藩論を倒幕に転換。

  • 薩摩藩の動き

    1863年,前年の生麦事件の報復としてイギリス艦隊が薩摩を攻撃(薩英戦争)。欧米の力を知った薩摩藩は,西郷隆盛や大久保利通らが藩の実権を握り,幕府を倒して欧米に対抗できる新政権をつくろうと考えた。

  • 薩長同盟(1866年)

    土佐藩の坂本龍馬・中岡慎太郎の仲介により薩長同盟が成立。同年,幕府がおこなった二度目の長州への出兵(第二次長州征討)も,薩摩藩の不参加などにより失敗に終わった。

(2)江戸幕府の滅亡

二度の長州出兵などで物価はさらに上がり,「世直し」を唱えた一揆や打ちこわしが頻発。さらに1867年には東海地方を中心に「ええじゃないか」と熱狂した民衆が騒ぐなど,社会不安が増大した。

前年には孝明天皇が急死していた。

  • 江戸幕府の滅亡(1867年)

    1867年,15代将軍徳川慶喜は京都二条城で大政奉還をおこない,天皇に政権を返上。天皇のもとで徳川氏中心の新政権をつくろうとした。これに対し公家の岩倉具視や薩長の倒幕派が朝廷を動かし,同年に王政復古の大号令を出して天皇中心の新政府をつくるとともに,旧幕府側の領地を返上するように命令した。

  • 戊辰戦争(1868年~69年)

    新政府の動きに反発した旧幕府側の諸藩らが新政府に反抗したが,鳥羽・伏見の戦いや江戸城の無血開城,会津戦争などを経て,最後に蝦夷地箱館の五稜郭の戦いで旧幕府側を完全に平定した。

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