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明治時代②

1 岩倉使節団と殖産興業

(1)岩倉使節団

  • 岩倉遣外使節団の目的

    明治政府は江戸幕府が結んだ不平等条約を改正するため,岩倉具視(公家)を全権大使とする使節団を欧米に派遣。大久保利通(薩摩),木戸孝允・伊藤博文(長州)などの政府有力者が参加した。

    三条実美(公家),西郷隆盛(薩摩),板垣退助・後藤象二郎(土佐),江藤新平(肥前)らは日本に残り,留守政府とよばれた。

  • 結果

    条約改正の予備交渉は,日本の近代化が遅れていることなどから失敗。約2年にわたり欧米の進んだ政治・経済・法律などを視察して帰国した結果,内政の充実の必要性を痛感した。

(2)殖産興業

民間に近代産業を興す力がないため,政府が主導して近代産業の育成を始めた。さらに欧米から技術者や教師を御雇外国人として招き,進んだ技術の導入を進めた。

  • 官営模範工場
    • 日本の輸出する生糸の品質向上・増産を図るため,フランスから技術者を招き,群馬県に富岡製糸場や新町紡績所を設立。

      その他に,各地にさまざまな工場を設立。

    • 旧幕府がもっていた軍事工場・鉱山の政府の直接経営や,第一回内国勧業博覧会(1877年)を開いて新しい技術・機械を広めた。
  • 交通・通信機関
    • イギリスから技術者を招き,1872年に新橋~横浜間に日本初の鉄道が開通。
    • 1869年に東京~横浜間に日本初の電信が開通し,1871年には前島密が郵便制度を整えた。

      1877年には電話の輸入も開始。

(3)北海道の開拓とアイヌ

  • 北海道の開拓

    ロシアとの関係から蝦夷地の開拓を本格化。開拓使を置き,蝦夷地を北海道と改称。生活が苦しくなった東北地方の士族を屯田兵として集め,開拓と警備を兼ねた。開拓使はアメリカ人クラークを招いて札幌農学校を開き,さらにケプロンの指揮でアメリカ式大農場技術を取り入れた。

    開拓使は炭鉱の開発も推進。

  • アイヌの人々

    政府主導の開拓により,アイヌは土地や漁場などを奪われ生活は困窮し,さらにアイヌの伝統的な風習を禁止する同化政策がとられた。

    1899年には北海道旧土人保護法が制定される。

2 近代的な国際関係

(1)中国の清と琉球王国

  • 清との関係

    1871年,日本と清は対等な関係で日清修好条規を結び,国交を開いた。

  • 琉球から沖縄へ
    • 江戸時代,薩摩藩の支配を受けつつ清への朝貢をおこなっていた琉球王国に対し,明治政府は1872年,琉球藩を設置,日本の領土と主張したが清は反発した。
    • 1871年,琉球漂流民が台湾で殺害された事件をきっかけに,1874年に初の国外出兵となる台湾出兵をおこない,清から賠償金を得た。
    • 1879年,琉球藩を廃止して沖縄県を設置(琉球処分)。

(2)朝鮮との関係

朝鮮は鎖国をしており,明治政府の国交要求も拒否していた。

  • 征韓論争

    1873年,留守政府の西郷隆盛や板垣退助らが武力による開国をめざす征韓論を唱えたが,欧米から帰国した岩倉具視や大久保利通,木戸孝允らが,内治優先を唱え反対。政府は分裂し,西郷や板垣は政府を去った(明治六年の政変)。

    西郷らは,失業して困窮する士族への対策として征韓論を主張していた。

  • 江華島事件と日朝修好条規
    • 江華島事件(1875年)

      1875年,朝鮮の沿岸で日本軍艦が無断で測量を始め,鎖国中の朝鮮が砲撃。日本軍は反撃して江華島の砲台を占領した。

    • 日朝修好条規(1876年)

      1876年,江華島事件を理由に締結。清の宗主権を否定して朝鮮を開国させるとともに,日本の領事裁判権を認め,朝鮮に関税自主権を認めない,朝鮮にとって不平等な条約を結ばせた。

(3)欧米との国境画定

  • 樺太・千島交換条約(1875年)

    両国人雑居の地であった樺太をすべてロシア領に,千島列島はすべて日本領とした。

  • 小笠原諸島の領有(1876年)

    アメリカやイギリスも一時領有権を主張していたが,1876年に日本が領有を宣言し,各国に通達した。

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