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明治時代④

1 日本の条約改正と東アジアの情勢

(1)条約改正

19世紀後半,資本主義の広まった欧米列強は資源と市場を求めてアフリカやアジアに進出。軍事力で次々と植民地を増やした(帝国主義)。なかでもイギリスは,スエズ運河を買収。アジア進出を進めるとともにエジプトや南アフリカを植民地とした。フランスはアフリカを東西に分割する横断政策をとり,縦断政策のイギリスと対立した。

  • 条約改正交渉の開始

    江戸幕府が結んだ日米修好通商条約は,相手国の領事裁判権(治外法権の一種)を認め,日本の関税自主権を認めない(協定関税制)不平等条約のため,おもにこの二点を改正するため交渉をおこなった。

    • 岩倉具視を中心とする岩倉遣外使節団(1871年~73年)が,条約改正の予備交渉をおこなったが,日本の法律や国家制度が整っていないため交渉を拒否された。
    • 外務卿(のち外務大臣)井上馨は東京に鹿鳴館を建て(1883年),外国人を招いて舞踏会を開くなどの欧化政策をとり,領事裁判権廃止の代わりに外国人を日本の裁判官に採用することなどで条約改正を狙ったが,国内から強い反発を受けた。
    • 1886年,和歌山県沖でノルマントン号事件が発生。イギリス人船長が裁判にかけられたが,領事裁判により軽い罪で済んだため,国内でとくに領事裁判権の撤廃を求める動きが本格化。外務大臣井上馨は欧化政策を批判され辞任した。
  • 条約改正の達成
    • 領事裁判権の撤廃

      1894年,日清戦争の直前に外務大臣陸奥宗光がイギリスと交渉,片務的最恵国待遇および領事裁判権の撤廃で合意した。他の国とも交渉を進め,1899年から実施した。

      改正できた要因として,国内では憲法・議会の整備,国外ではロシアの南下政策に対するイギリスの警戒があった。

    • 関税自主権の回復

      日露戦争後の1911年,外務大臣小村寿太郎がアメリカと交渉,関税自主権を回復して,不平等条約の改正が完全に達成された。

      他の国とも達成。要因として,日清・日露戦争の勝利による国際的地位の向上があった。

(2)東アジアの情勢

  • 朝鮮半島をめぐる対立

    日朝修好条規により開国させられた朝鮮では,日本のように近代化しようとする親日派(独立党)と,清との関係を維持して欧米に対抗しようとする親中派(事大党)が対立。朝鮮への影響力を高めようと,日清両国もそれぞれに結びついていた。

  • 甲申事変(1884年)

    親中派政権を倒すため,親日派が日本の協力を得てクーデターを起こしたが失敗し,日本の勢力は後退した。しかし,フランスのインドシナ進出やロシアのシベリア鉄道建設など,列強のアジア進出が本格化する中で日本は朝鮮への進出が必須と考え,清に対抗するために軍備を強化していった。

    1882年にも壬午軍乱という事件があり,それに続く日本勢力の後退となった。

2 日清戦争

(1)日清戦争

  • 開戦

    1894年,朝鮮で東学という宗教を信仰する農民らが,日本や欧米列強の排除などを掲げて蜂起(東学党の乱・甲午農民戦争)。朝鮮政府は清に助けを求め,対抗して日本軍も出兵。内乱が収まっても両軍は撤退せず,朝鮮の改革をめぐって対立,日清戦争が始まった。

  • 戦争のゆくえと講和

    近代的な軍備をもつ日本軍が戦いを優勢に進め,戦場が朝鮮から中国東北部にまでおよび,1895年に清が降伏,日本との間に下関条約を結んだ。

    • 清は朝鮮の独立を認めて手を引く。
    • 清は日本に植民地として遼東半島・台湾・澎湖諸島を譲り渡す。
    • 清は日本に賠償金2億両(日本円で約3億1000万円)を支払う。
  • 日清戦争の結果
    • 日本の国際的地位が上がり,大陸進出の足場をつくった。
    • 日本初の植民地となった台湾では,現地住民の反対運動を抑え,台湾総督府を設置して植民地統治にあたらせた。

(2)列強の東アジア侵略

  • 三国干渉(1895年)

    南下政策を進め,中国東北部(満州)進出を狙うロシアは,日本の大陸進出に対抗するため,下関条約締結直後にフランス・ドイツとともに遼東半島の清への返還を要求。日本は受け入れ,清から追加の賠償金を得たが,国内では反ロシア感情が高まった。

  • 列強の中国分割

    日清戦争ののち,列強は中国への進出を強化。各地を租借し,鉄道建設や鉱山開発をおこなった。なかでもロシアは,三国干渉で返還させた遼東半島の旅順・大連を租借,シベリア鉄道とつながる鉄道を敷くなど満州への影響力を強め,さらに朝鮮半島も狙い始めた。

  • 日清戦争後の日本
    • 日清戦争の賠償金を使って,軍備の増強や工業化を進めた。

      官営八幡製鉄所(福岡県)の建設など。

    • 日清戦争中,政府と民党は対立をやめ団結して戦争に専念。しかし戦後,地租の増税をめぐり再び対立,民党は自由党と進歩党(もと立憲改進党)が合流して憲政党をつくり,初の政党内閣である第一次大隈重信内閣をつくるが,短命に終わった。

      憲政党は分裂,のちに自由党系は政府の伊藤博文と合流し立憲政友会を結成した(1900年)。

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