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昭和時代前期①

1 日本の中国侵略

(1)満州事変

  • 国民政府と北伐

    孫文の死後,蔣介石が中国国民党をまとめ,当初は手を結んだ中国共産党と対立しつつ1927年には南京で国民政府をつくった。国民政府は中国全土を統一するために北伐をおこない,日本の妨害を受けながらも,1928年にはほぼ統一を完了した。国民政府は列強,とくに日本に対して,満州(中国東北部)の権益を回収しようとした。

  • 満州事変(1931年~33年)

    中国国民政府の動きに対し,国内では,満州や内蒙古を「日本の生命線」として死守し,不景気を打破するために結びつきを強化しようとする主張が広がった。さらに,南満州鉄道沿線に置かれた日本の陸軍である関東軍は,満州を中国から分離させようとしていた。

    • 1931年9月,関東軍は奉天郊外の柳条湖で,日本の南満州鉄道の線路を自ら爆破,中国軍のしわざとして軍事行動を開始(柳条湖事件),政府の戦争不拡大方針を無視して満州全域を占領した(満州事変)。

      国民の多くは関東軍の行動を支持していた。

    • 1932年,関東軍は清朝最後の皇帝溥儀を執政(のち皇帝)として満州国を建国。これに反対した中国は国際連盟に訴え,国際連盟は同年リットン調査団を派遣した。
    • 1933年に開かれた国際連盟の総会は,満州国を認めず,関東軍に満鉄沿線への撤退を求める勧告を出したが,日本は反発。国際連盟を脱退した。

      のち,ワシントン・ロンドン海軍軍縮条約からも脱退し,国際的な孤立を深めていった。

(2)昭和ファシズムの始まり

  • 五・一五事件(1932年)

    国際協調の流れから軍縮を進める政党に対し不満を高めた軍部は,政党政治を倒して軍部による政権をつくろうと考えた。1932年5月15日,満州国を承認しようとしない犬養毅首相を暗殺。これにより8年続いた政党内閣は終わり,後任の斎藤実内閣は日満議定書により満州国を承認した。

  • 二・二六事件(1936年)

    1936年2月26日,陸軍の青年将校らが,天皇中心の政治をおこなうため「昭和維新」を唱えて首相官邸などを襲撃し,東京の中心部を占拠。すぐに鎮圧されたが,陸軍の政治的な発言力が強まった。これ以降,軍部批判に対する思想の取り締まりは強まった。

  • 景気の回復

    世界恐慌で減っていた綿製品などの輸出が回復。それ以上に軍需産業の発展により重化学工業が栄え,軽工業の生産量を上回った。また,重化学工業分野で日産・日窒などの新興財閥が急成長し,満州や朝鮮に進出した。

2 日中戦争

(1)日中戦争

  • 国共内戦と抗日民族統一戦線

    中国東北部における満州事変後,さらに華北への進出を強めた日本軍に対し,蔣介石の国民政府(中国国民党)は中国共産党との内戦を重視していた。共産党は立て直しのために長征〔大西遷〕をおこない,その途中で最高指導者の毛沢東らは国民政府に対し,内戦の停止と日本への共同の抵抗をよびかけ,のち国民政府も同意した。

    日中戦争が始まると国民政府と共産党は抗日民族統一戦線を結成した。

  • 日中戦争(1937年~45年)

    1937年7月,華北の北京郊外の盧溝橋で日本軍と中国軍が衝突(盧溝橋事件)。宣戦布告のないまま全面戦争に突入した。日本軍は同年末には首都南京を占領したが,蔣介石は首都を内陸部の重慶に移し,戦争は泥沼化していった。

(2)戦時体制の強化

  • 戦時体制の強化

    戦争の長期化にともない,国民を戦争に動員できるように体制を整備していった。

    • 1938年,第一次近衛文麿内閣が国家総動員法を制定。戦争に必要な人員・物資を,議会の同意がなくても動員できるようにした。この結果,議会は無力化した。
    • 1940年,近衛文麿が「挙国一致」を唱え,ほとんどの政党や団体が解散して,新たにつくられた大政翼賛会に合流。首相が総裁となり,道府県知事を支部長に,町内会・部落会や隣組などを通してすべての国民を統制できるようにしようとした。
    • 労働組合は解散させられて産業報国会がつくられ,その全国組織として大日本産業報国会がつくられた。
  • 国民生活の変化
    • 軍需品の生産が優先されたため生活必需品が不足し,砂糖・マッチ・木炭・綿製品などは切符制となった。また,コメは配給制となった。
    • 1941年,小学校は国民学校となり,軍国主義的教育を促進。また,中学校では軍事教練がおこなわれるようになっていた。
    • 植民地の朝鮮では,日本語の使用,日本式の姓名を強制させる創氏改名などの皇民化政策がすすめられた。

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