講師

URLコピー

※講座タイトルやラインナップは2018年現在のもので、実際の講座と一部異なる場合がございます。無料体験でご確認の上、ご登録お願いいたします。

講師紹介

この授業の
サンプルテキスト公開中!

※サンプルテキストは実際の講座と一部異なる場合がございます。無料体験でご確認の上、ご登録お願いいたします。

昭和時代中期・後期②

1 冷戦の開始と植民地の解放

(1)国際連合の成立と冷戦の始まり

  • 国際連合の成立(1945年)

    1945年4月,アメリカのサンフランシスコに連合国が集まり,6月に国際連合憲章に調印し,10月に国際連合が成立した(アメリカのニューヨークに本部を置いた)。

  • 国際連合の特色
    • 平和維持のために安全保障理事会〔安保理〕が設けられ,アメリカ・イギリス・フランス・ソ連・中国(1971年まで中華民国,その後は中華人民共和国)の五大国が常任理事国となり,拒否権を与えられている。

      総会を含め,原則的に多数決制が採用されている。

    • 第二次世界大戦を止められなかった国際連盟の反省から,国際紛争の解決のための武力制裁が可能で,国連軍を派遣できるなどの強い権限をもつ。
  • 冷戦の開始

    第二次世界大戦の末期から,資本主義国の超大国アメリカと社会主義国の超大国ソ連の対立が深まり,戦後に激化した。

    • アメリカは西ヨーロッパ諸国へ資金援助をおこなって復興を助け,1949年には軍事同盟として北大西洋条約機構(NATO)を結成し,資本主義国(西側陣営)の中心となった。
    • ソ連は東ヨーロッパ諸国に社会主義政権をつくらせ,1955年にはワルシャワ条約機構をつくり,社会主義国(東側陣営)の中心となった。
    • アメリカ・イギリス・フランス・ソ連が分割統治していたドイツでは,1949年にソ連が統治していた東側がドイツ民主共和国(東ドイツ)として独立,西側はドイツ連邦共和国(西ドイツ)となった。また,東ドイツの首都ベルリン内の西ベルリンは西ドイツの飛地であったが,のちベルリンは東側が築いた「ベルリンの壁」により東西に分断された(~1989年)。
    • この東西両陣営は,実際に戦争はしなかったものの,戦火を交えない対立は冷たい戦争〔冷戦〕とよばれた。

(2)アジア・アフリカ諸国

  • 朝鮮戦争(1950年~53年)

    アジア太平洋戦争終結後,朝鮮半島はアメリカ(南部)とソ連(北部)が分割占領し,1948年に南部は資本主義の大韓民国〔韓国〕となり,北部は社会主義の朝鮮民主主義人民共和国〔北朝鮮〕として,それぞれがソウルと平壌を首都に独立した。1950年には南北統一をめざした北朝鮮が韓国に攻め込み,朝鮮戦争が始まった(~53年)。

  • 中国の動き

    アジア太平洋戦争が終わると,中国では国共合作をしていた中国国民党と中国共産党が再び対立。内戦状態へと突入したが,農民の支持を得た共産党が1949年に勝利して中華人民共和国(首都=北京)を建国し,国家主席には毛沢東がついた。また,蔣介石率いる国民党は台湾に逃れ,中華民国を維持した(首都=台北)。

  • アジア・アフリカ諸国の独立

    植民地支配を展開していたヨーロッパ諸国が弱まり,アジアでは独立の動きが加速。ベトナム(フランスから)・インドネシア(オランダから)・フィリピン(アメリカから)・インド(イギリスから)など,1949年までに多くの国が独立。アフリカでも1960年に17カ国が独立して「アフリカの年」とよばれたが,北半球に集まる先進国との格差(南北問題)が残った。

2 国際社会への復帰と55年体制

(1)独立の回復

  • 占領政策の転換

    冷戦が激化してくると,アメリカ中心のGHQは日本の占領政策を転換。日本経済を早期に立て直して,資本主義国として独立させアジアの社会主義勢力を食い止めようとした。日本政府も西側陣営の下で経済発展を目論み,この動きに賛成した。

    • 敗戦以来のインフレーション〔物価高〕を抑え,独占禁止法をゆるめて大企業の復興を進めたが,中小企業に倒産が相次ぎ,失業者が増えたため,激しい労働運動が起こった。
    • 社会主義の発展を抑えるため,労働運動を制限するとともに共産党員などを職場から追放した(=レッド・パージ)。逆に公職追放は解除した。
    • 朝鮮戦争が始まると,アメリカを中心とする国連軍による軍需物資の需要から特需景気とよばれる好景気が発生した。
    • 日本に駐留するアメリカ軍が朝鮮に渡り日本の治安が悪化することを恐れ,1950年に警察予備隊をつくった(52年に保安隊,54年に自衛隊へと発展)。
  • 日本の独立

    1951年9月,吉田茂内閣がサンフランシスコ平和条約に調印。翌年4月28日に発効して独立を回復したが,沖縄や小笠原諸島,奄美群島はアメリカの統治下に置かれた。

    台湾の中華民国と中華人民共和国はサンフランシスコ講和会議に招かれず,インドなど3カ国は会議に不参加。ソ連など3カ国は会議には参加したが,条約には調印しなかった。

  • 日米安全保障条約の締結

    平和条約の調印と同日,日米安全保障条約が結ばれ,占領解除後もアメリカ軍の日本駐留を認めた。アメリカに日本防衛義務がなく,期限も不明確であるなど問題点が多かった。

    翌1952年には日米行政協定が締結され,日本は米軍に基地を無償提供し,駐留費用も分担することとなった。

(2)55年体制

  • 原水爆禁止運動
    • 冷戦の拡大が核兵器の生産増大につながる中で,1950年に世界の知識人が核兵器の厳格な管理・使用の禁止を求める「ストックホルム・アピール」を発表した。
    • 1954年,日本のマグロ漁船第五福竜丸が,アメリカが太平洋ビキニ環礁で実施した水爆実験で放射性物質“死の灰”を浴び死者も出ると,原水爆禁止運動が活発化。翌年,第一回原水爆禁止世界大会が広島で開かれた。
  • 55年体制

    日米安全保障条約や自衛隊に反対する日本社会党(左派・右派)の活動が活発化し,分裂していた左右の革新勢力が再統一された。こうした動きに危機感を抱いた日本民主党・自由党からなる保守勢力は,1955年に合同して自由民主党を結成。以後社会党などと対立しつつ,38年間に渡り自民党が政権を維持した(=55年体制)。

  • 60年安保闘争

    自民党の岸信介内閣は,アメリカとの関係をより対等にするため,戦争に巻き込まれるとの反対意見を抑えて1960年に日米安保条約を改定し,新日米安全保障条約を結んだ。新安保の承認が国会で強行されると,激しい反政府運動が起き,岸内閣は総辞職した。

この続きは授業で!テキスト、演習問題のPDFが無料ダウンロードできる!

14日間無料体験!今すぐ会員登録

学年・科目を選択

14日間無料で、
4万本以上の授業動画を受講いただけます。