カリスマ・天草四郎が散った地…… 自然に恵まれた半島、長崎県島原【現在はどうなっているの?】

日本史の教科書によく出てくる地名。現在ではどんなスポットになっているのか気になりませんか。今の様子を知れば、さらに理解が深まるかも! 当時と現在の様子やおすすめポイントをご紹介します。

江戸時代に起きた「島原の乱」は、長崎県の南東に位置する半島で起こりました。温泉や自然に恵まれたこの地は、現在はどうなっているのでしょうか。

今回は長崎県島原についてご紹介します。

今回のスポット

住所:長崎県島原(島原市・雲仙市・南島原市)
人口:約14万人(2016年7月)

島原の乱の背景

島原地方は古くからキリスト教の信仰が盛んでした。しかし、松倉重政が治めていたころになると年貢の取り立てが厳しくなるように。山が多くて作物の採れる量が少ない地にもかかわらず、不作が続いても容赦なく取り立てられました。

さらに、幕府の方針に従ってキリシタン弾圧を強める政策が行われるようになりました。そうして島原の人々の不満が爆発し、一揆が勃発したのです。これが江戸時代初期で起きた一揆の中で最も大きいとされる「島原の乱」(「島原・天草の乱」)です。

現在の島原にも当時の様子がわかる建物も多く残されています。昭和時代に復元された島原城を始め、殉教したキリスト教信者の祈りの家として建てられた島原カトリック教会など。今も祈りを捧げられています。

天草四郎のカリスマ性

島原の乱に参加した反乱勢はなんと4万人以上だといいます。この大人数をまとめあげたのが天草四郎(益田四郎)。当時16歳にしてキリシタンの間でカリスマとして崇められていました。

カリスマ性のある彼を中心にしたことで士気も高く、幕府側も苦戦を強いられましたが、ついに天草軍は敗れたのです。

最後の決戦の地となった原城は、現在史跡として開放されています。

ロケーションも抜群の地

現在では島原温泉のほか、ご当地グルメなども観光客に人気です。スイーツの「寒(かん)ざらし」は小さな白玉がたくさん入っていて夏にはぴったり。口之津イルカウォッチングに行けば、海にいるイルカを直で見ることができます。

このように歴史遺産が豊富な島原ですが、自然や温泉にも恵まれています。1991年、雲仙普賢岳で大規模な火砕流が発生し大きな被害が出ましたが、地元の人たちの懸命な取り組みによって現在では復興を遂げています。歴史的建造物を見て回るほか、自然に親しんだり、温泉で日頃の疲れを癒やしたりみてはいかがでしょうか。

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