激動の“サムライシティ”! 福島県会津若松市【現在はどうなっているの?】

日本史の教科書によく出てくる地名。現在ではどんなスポットになっているのか気になりませんか。今の様子を知れば、さらに理解が深まるかも! 当時と現在の様子やおすすめポイントをご紹介します。

会津若松市

福島県西部の会津地方にあり、一帯の中心都市として栄える会津若松市。この地は、“サムライシティ”の呼び名もあるほど、サムライスピリットが今も息づく場所です。

今回は福島県会津若松市についてご紹介します。

今回のスポット

住所:福島県会津若松市
人口:約12万3000人(2016年8月)

激動の幕末

会津藩最後の藩主だった松平容保(まつだいらかたもり)。容保が歴史に名を残すことになったのは、京都守護職就任がきっかけです。幕府から京都守護職を命じられ、不穏な京都の治安を任されることになりました。

1868年、鳥羽・伏見の戦いを皮切りに戊辰戦争が始まり、薩長を中心とする新政府軍は各地で旧幕府軍を破ると、江戸の無血開城後には東北地方に押し寄せました。標的となった会津は激しい攻防の末、ついに降伏します。この過程で白虎隊の自刃などの悲劇が起きました。

この戦いで、新政府軍の猛攻から1カ月もの間耐え抜いた難攻不落の名城「若松城」は、現在公園として一般開放されています。ちなみに、2015年には天守閣再建50周年を記念にして展示室が全面リニューアルされたばかり。

野口英世ゆかりの地

野口英世

千円札に描かれている人物といえば、誰だかわかるのではないでしょうか。会津若松は、そんな野口英世が青春時代を過ごした地でもあります。

大火傷を負った野口英世は、会津若松にある「会陽医院」という病院で治療を受けます。そして医学の素晴らしさに感銘を受け、のちに会陽医院に弟子入りをし、医学の道に励んだのでした。

会陽医院は現在も残っており、1階は喫茶店、2階は資料館になっています。建物の前の通 りは「野口英世青春通り」。野口英世が洗礼を受けた教会や、初恋の人・山内ヨネの家も現存しているので、いまなお見どころがいっぱいです。

サムライシティ・会津若松にはこの他にも「會津藩校 日新館」や「会津武家屋敷」などの歴史を感じさせる要素がいっぱい。また、歴史の名所だけでなく、東山と芦ノ牧の温泉やB級グルメ「ソースカツ丼」も人気です。歴史の跡を感じながら、ぜひ一緒に楽しみたいですね。

バックナンバー